2018年 私のGWをただ振り返る

 

 

※ 始まりはポップですが、途中からは祖父が亡くなったスゴーーク重い話になっていますので暗い気持ちなりたくない方は読まないでください!!!

 

 

 

 

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4月27日に実家に帰省して早3週間。

 

私、まだ実家に居ます。

 

実家さいこ〜フォー\(^ω^)/www

と、喜んでばかりも居られなかった…壮絶な?色濃い3週間を振り返りたいと思います。(ほぼ自分のための備忘録。きっと来年のGWに見たら懐かしくなるんだろうな…www)

 

4月27日  帰省

父にアパートまで車で迎えにきてもらい、息子と大量の荷物を持って帰省。翌日、親友の結婚式に参加する予定だったので、ドレスやらプレゼントするアルバムやら、結婚式グッズをたんまり持ち、仙台を後にした。

その時はまだ、後に待ち受ける、落差激しく、感情をひたすら揺さ振れる日々が来るなど微塵も感じていなかった。

そして、3週間もロングステイする気が無かったので、自分の服は着ていったものを含めて2パターンしか持って行かなかった。

 

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4月28日 親友の結婚式

高校で出会い、気づけば15年の付き合いになる親友チャンの晴れの日。友人代表スピーチを頼まれていたので、朝から珍しくド緊張。胃もたれヤバかった。一応、紙に書いたけど、カンペ無しのマイク1本でスピーチしたかったので、隙を見てコソコソ練習。しかし練習してると涙が溢れ、それどころではなくなる。この繰り返し。結婚式始まり、披露宴はじまり、新郎新婦入場し、乾杯し、よーーし本番!!名前呼ばれて前に立ち、マイクを持てば独壇場。100人越えの人たちの前で、ドヤ顔で喋ってきた。不思議と喋ってるうちに緊張は快感へと繋がる。

 

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(後から写真を見て、自分の二の腕のたくましさに驚く。戒めのため載せておく。)

 

結婚式は無事終了。

お酒飲まない予定が、新郎がビールサーバー背負ってきたら、たまらず頂く。ウ、ウ、ウマァ…!!二次会、三次会と楽しく過ごして最終の新幹線で帰宅。こんな夜遅くまで出掛けたの久しぶり…!息子は良い子に寝ておりました。お母さんありがとうー!

 

4月29日 お祭りへ

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息子はじめてのお祭りへ。暑い日だった。

日陰見つけて、外でおやつタイム!

 

4月30日 歩行器ゲット!

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私の父母より貢ぎ物。

息子、立つ感覚に興奮していた!!(と思う)

 

 

5月1日 友人とランチ

新たに一人暮らしを始めた友人とランチして新居にお邪魔。実家の両親が結婚だの家継ぐのかだのうるしゃいから家を出たんだってー!スッキリさっぱりしていた模様!w

 

 

5月2日 お花畑へ

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息子と妹とお花畑へ!

散策たのしかったー!

 

 

5月3日 新築祝い

マイホームを建てた友人宅へ新築祝い!

新築のマイホームは新しい匂いがして羨ましい限り…!

しかしながら大人4人に対し、キッズ6人。お菓子やオモチャ、ほっともっと弁当までも、全てがグチャグチャになった。大人完敗。

 

 

5月4日、祖父入院

祖父は昨年末、肺ガンが見つかっていた。

すでに末期。余命は数ヶ月、この春だと言われ、治療も無く自宅で静かに暮らしていた。

 

私が帰省した日には寝室から茶の間まで歩いてきてたけど日に日に弱り、1週間のGWの間に寝たきりになってしまった。食欲もなく、肺に水が溜まり、息苦しそうにもしていた。体調に波があり、調子が良さそうなとき本人にどのような状態か聞くと、二日酔いのような気持ち悪さがずっとあると言っていた。だからか、食欲は無くても、アイスを進めるとよく食べてくれた。体調悪そうで息苦しそうにしているとき、「病院に行く?」と聞くと首を横に振った。

 

祖母の希望で祖父は自らが余命幾ばくもないことを医師から知らされていなかった。

しかし、自分の死を分かっていたのだと思う。

時より顔を伏せ泣いていた。怖かったんだと思う。

 

余計に、寝たきりになりオムツをせざる負えなくなった。さらには排泄の介助を祖母だけでこなすことが難しくなり、母(祖父からしたら嫁、そして看護師)がしてた。

元々、自尊心が強く几帳面で真面目な祖父だったから、そのプライドはズタズタになっていったんだと思う。母に「ごめんな、子供みたくなってしまったわ」と謝ったらしい。

 

話ズレたけど、そんな祖父が入院した。

ほぼ意識が無い状態くらいになって、車に乗せるのも難しく、救急車を呼んで病院まで運んでもらった。次に祖父が帰ってくるときは…と考えると辛かった。

 

入院が夕方だったので、翌日に息子を連れていくことにした。

 

 

5月5日  祖父に会いに病院へ

夜中に帰宅した両親から、祖父が意識取り戻し

、落ち着いたことを聞いた。

 

朝から病院に行った。

祖父は酸素マスクをつけながらも私と息子に気づくと、息子に手招きをして、名前を呼んでくれた。息子を祖父の脇に座らせると、手を回し、抱っこするようにギュッとしてくれた。その時見た、祖父のギュッとする腕と手は痩せて細くなってた。忘れらんない。

 

それが祖父に会う最期だった。

 

 

5月6日  祖父、旅立つ

日付が変わった5月6日午前1時1分、祖父は亡くなった。87歳だった。

夜中に呼吸弱くなってきたと連絡があり、両親は病院へ向かった。私は息子と実家に残った。しかし寝れずにいた。落ち着かなかった。母から連絡があり、祖父が亡くなったと聞いた。同時に、朝方には祖父が帰るから家を片付けなきゃと母が。何をどうしたら良いか分からないでいると、先に母が帰宅。母もテンパっていた。祖父を寝せる布団用意して、座敷にある物を押入れにぶちこんで、ふすまを外し、あ、お湯も沸かすか…母と私、家ん中無駄に歩き回るだけだった気がする。そうしているうちに葬儀屋さんが祖父を乗せ、父や祖母が帰宅。

 

正直、何やっていいか分からない&やること多すぎて、祖父が亡くなったことを悲しんでる余裕など無くなった。

 

座敷のふすま全部外して…物置きにしまって…掃除機かけて…何やったか覚えてない。気づいたら外は明るくなってた。家族皆、一睡もせず朝を迎えた。

 

朝を迎えたら迎えたで、和尚さんへ連絡したり親戚や近所に連絡したりと父や祖母は忙しそうだった。

 

 

※5月7日〜5月9日も毎日事件勃発。書ききれないので飛ばす。

 

 

5月10日  火葬、お葬式

朝9時30分に葬儀会館へ。火葬場に行き、本当にお別れ。辛い。ほんと辛い。祖父、骨になった…この日やっと悲しみが沸いてきたきた。

 

お葬式では孫3人からお別れの言葉を言った。

祭壇に飾られた祖父の遺影を見ると涙が出た。

 

でも、亡くなったのは悲しいけど、病気で体が辛そうな祖父を見ていたので、楽になったと思うと少しホッとする気持ちもあるかな。

 

あと、本当はこの日が息子の病院受診の日だった。前回、この日に今後の治療の詳細や手術の事などを話すと先生に言われていた。悩んだ末、2週間後に予約取り直すことができるということもあり、お葬式に出ることにしたんだ。祖父とちゃんとお別れできてよかった。

 

 

5月11日〜今日まで

祖父が亡くなり、お葬式も終わり、ひと段落。

アパート帰ることも出来るんだけど、祖父が亡くなったことで、日中は祖母が自宅に1人になってしまうことに。もちろん当たり前だし、祖母もその生活に慣れていかなきゃいけないんだけど、なんだかまだ1人にするのは可哀想に思えて、私は実家にいることにした。幸い、私は専業主婦だから、旦那さえ良ければ実家にいることができる。今できることってこれくらいなんだよね。祖母も、ひ孫と遊べて楽しそうだし、一瞬でも笑顔なれれば違うかなと思うし、実際そう話してた。

 

しかし、来週は息子の病院受診なので、いい加減帰らねば。

 

 

てことで明日、仙台帰る!!!

 

 

さらばGW、3週間ありがとう。